2016年2月19日金曜日

猫額園にソヨゴが来ました

長野県に住んでいる絵本作家のH君から 「ソヨゴ」の苗が送られてきました。
H君が、ずいぶん前に、フェイスブックかブログに 
庭に生えている「ソヨゴ」の樹のことを書いていて
「え~ソヨゴって、葉っぱがソヨソヨって鳴るからソヨゴだったりします?」と食いついたおばたん。
「ソヨソヨ鳴るところを見たい!」
というおばたんのために 実を植えて育ててくれていたのです。
実生っていざ育てるとなるとなかなか難しいもので、数年越しで育ててくれていたのです。
彼のおうちの優しいメンバーのお顔が浮かびます。
むふふ。
コナラの葉っぱに守られてやってきました


丁寧に梱包されてやってきたソヨゴたち。
「大きくなると2メートル」だって。

狭小猫額園でも、なんとかなるかな?
地植えにして困ったことになっている「給食のビワ~」に学んで鉢植えで管理する方向で行きたいと思います。
心配なのは、所沢の夏の蒸し暑さだわ。
あまり植物を枯らさないおばたんだけど、去年は富良野育ちのラベンダーちゃんがダメになってしまった。
まあ、あの子には無理させちまったよね。いきなり20度くらい気温差があるところへ来ちゃあ・・・
今回は、まだ寒い時期からだんだんに慣れてもらおうね。
(夕刊の連載小説の影響で下町のおかみさん口調)
狭いところでごめんね。半日蔭がいいようなのでキンモクセイの下にすんでもらいます。

 
















無事大きくなって ソヨソヨ葉擦れの音を聞かせてね!

2016年2月14日日曜日

ありがとう♡

今日は、暇だったので落ち込む気持ちを奮い立たせるために、へやの模様替えをした。
「ヒマで落ち込む」なんて贅沢だけどそういうこともあるし、自分でも贅沢なんだよなぁって思うだけにつらいものである。
まあ、空の巣症候群の軽いやつだろう。

さてさて、メインは、大きな本棚を1メートルほど動かすこと。
でも、重たい本やら図録やらスケッチブックやらがこれでもかこれでもか!これでもか~~~!と押し込まれているので、ぜ~~んぶを一旦出さないとおばたんの太腕でも、びくともしない。
はじめてしまったら、やり遂げないと足の踏み場もない。

おやおや、こんなものが・・・!

子どもの提出用日記帳・・・これはおもしろいからひきつづきお取り置き。

むむ、これは・・・?
厚い本の後ろに隠されていたのは、自分の大学後半から就職したばかりの頃の日記帳。
げっ!前に捨てたと思ったのは別のものか?筆まめなやっちゃな。
怖いもの見たさで ぱらぱらとめくって、赤面し、今度こそ捨てる。

でも、日記帳にはさまってた古い手紙類はお取り置きだ。
・・・・・・・・・・・・・・・
「すごくいい演奏会で感動したよ!いい学生時代だったね!うらやましかったよ!」
これは、演奏旅行の会場に来てくれていた幼馴染からのハガキ。

同じゼミで一足早く結婚した友人からは、「私の夫はこんな人だよ。」とおのろけの後「学校がんばってね、早く1年6組の生徒さんと仲良くなってね」と温かい応援。

4年間同じ下宿だったMちゃんからの「もうすぐ結婚するよ。式には絶対来てね!」という報告。

赴任先の高校に講師に来ていたKちゃんからの結婚式の招待状。

「今日は渋谷でおデートでした。下宿のおばさんとちょっとうまくいきません。」
というかわいいのは、大学生活を送ってた妹からのハガキ。
・・・・・・・・・・・・・・

なんでこれだけ挟まっていたのかは謎だけど。
ぶわ~~と当時のことがよみがえる。
不足不満を並べ立てることが多いこの頃だけど、
昔も今も、いつもいい友達がいてくれてることは確かだな。
みんな、別れ別れになっててもそれぞれの場所で頑張ってるのを知っている。
手紙のうちの二人とは今はもう連絡が取れないけど、
きっと手を抜かずに船をこぎ続けてると思う。30年前はそんな人たちだったもん。

それにしても、今日は子供たちより若い自分を見つけ出してしまったよ。
ハガキたち、おばたんを今日励ますために30年も日記帳にはさまってたのかい?

2016年2月10日水曜日

都の景色3つ

都の景色、僕が一緒だったのは京都だけ。
あとはおばたんと有閑倶楽部のおばたんのお出掛けだよ。

1景 東寺
まずは帰宅途中のいつもの新幹線途中下車の旅で立ち寄った京都「東寺」
素晴らしい仏像がいっぱいあるお寺。
新幹線の線路がすぐそばを通っているので京都といえば東寺の五重塔が目に浮かぶよ。
冬の京都すいている。
特別公開で五重塔と潅頂院の内部も見られ、ガイドさんの説明もゆっくり聞けた。
意外なことに中国の団体さんがいなかった。
3時間ほどの滞在だったけど、晴から時雨まで天気もいろいろ味わえたよ。
特急券は割高になるけど、わざわざ行き直すよりはよっぽどお得な新幹線途中下車の旅、やめられまへん。

五重塔の心柱の工法はスカイツリーにも応用されているらしい

境内の隅に不動明王さんの石仏

梅の花が咲いていました

2景 上野
おばたんは、ともだちと上野のボッティチェリ展に。
ボッティチェリが愛称だったとはびっくりこ!
「小樽ちゃん」(おたるとちゃうで、こだる
こんなあだ名で通ってるってきっと親しみやすい人だったのかな。

きれいな絵がいっぱい来ていました。
南米音楽の生演奏が流れるうららかな公園内は、修学旅行の子が目立ちました。
そういえばここも中国の人は少な目。
聖母子像のポスター
画材に金箔やラピスラズリを使った実物、美しかったよ

寒桜がほころんでいました





3景 スカイツリー
おばたんは、お友達に誘われて、二階建てバスだけど決まった路線を走っててその間で乗り降り自由・・・という
路線バスと観光バスの中間のようなバスでついにスカイツリーにでかけた。
おばたんは、まだ、スカイツリーに行ったことがなかったんだよ。
風防のある最前列に座ればよかった・・・
バスはふきっさらしの2階にしかシートがなくて、おばたんたちは寒さにふるえながら30分のバスに耐えた。
曇りがちだった空は、自称晴れ女のおばたん二人の魔力でだんだん晴れてきた。
河津桜が咲いていた

「きっともう来ないと思うから」と2060円支払って展望スカイデッキへ登ったおばたん。
スカイツリーの影が街に
「富士山が見えないのが残念」
まるで春霞のようにもやもやとして周りの山はどこも見えなかったそうだ。

右上奥がさいたま市方面だって
帰りはもう夕方になっていた。バスの中から遠ざかるツリーを見たらお腹に赤い灯がともりはじめていたんだって。
説明を追加

2016年2月6日土曜日

池田町のうだつは上がるのかな?(2・11編集)

帰省中、おばたんはお買い物がてらおばあちゃんと池田町に行きました。

池田町というのは、おばたんが通った高校のある町。
四国のほぼ真ん中にあって、古くはたばこで栄えた町です。
池田町の旧市街っぽい地域には、「うだつ」の上がった蔵造の旧家が今でも並んでいます。
「うだつ」って何?
それは後で説明するね。
資料館「旧真鍋家住宅」奥の資料展示部分は有料
「たばこの町だった」

「うだつの家タバコ資料館」へ寄りました。
ここにはこの地域とたばこ産業との深いつながりの歴史が展示されています。
専売公社(現JT)池田工場は昭和の終わりころには日本最後の刻みタバコ工場となっていたようです。
現在は完全撤退。
広大な跡地は、有効利用が検討されたものの、過疎地のこととて 結局は、よくあるスーパーや百均やドラッグストアが並び建つショッピングエリアになりました。
亡父は、専売公社時代に就職し、日本たばこ、JTと移り変わる中を勤め上げました。
 タバコというものは嫌いだけれど、父が打ち込んでいたものとしての愛惜はあります。一緒に行った母はきっとそれ以上のものを感じていたでしょうね。


居住部分も立派 
たばこの葉っぱって結構大きい

阿波葉と呼ばれたこの葉っぱは、吉野川を舟で下って、大阪へ集められ、北前船で日本中・・・
北海道まで運ばれていったそうです。葉っぱを刻むのに昆布を削る技術が応用されたとか書いてあったよ。
この地から北海道に移住した人も多いそうです。

刻みタバコはきせるに詰めて使うのです。おばたん、初めて刻みタバコ喫煙しました。ちょっと珈琲っぽい苦みで嫌な味ではありませんでした 手モデルは母です

「うだつ」のある家並み

今、世間では天空の城やら集落やらが流行っているけど、このあたりは ほんとに山の真ん中より上に集落が点在している。
雨や雪が降ると雲だか霧だかに捲かれて、すぐに天空状態になるのよ。
こんなところを「ソラ」って呼ぶらしいけど、そういうところでは作れる作物も限られているから
たばこの葉っぱは、現金収入に直結のありがたい作物であったらしいっす。

ここはその集散地で、リッチになった商人が立派な蔵造りのおうちを建て並べたんですね。
家々は、1階の屋根の上に さらに少し幅の狭い中二階?のようなものを付けて屋根を載せる・・・という贅沢な造りになっている。
「うだつが上がる」とは、「うだつ造り」のおうちが建てられるように羽振りが良いことを言うのね。

うだつ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
後で調べると「うだつ」はもともと隣家との防火壁として作られたものが、だんだんと凝ったつくりになって、装飾的な意味合いの方が大きくなったんですね。
守るべき財産があって、立派な「うだつ」にお金をかける力がある・・・ということから「うだつが上がる」とは財産がある、出世する、羽振りが良い・・・などの意味合いのことばになったようです。
「うちの亭主、うだつが上がらなくって~」のように使用する言葉だけど、もう死語かもね。
このピンクで囲んだところが うだつ

うだつの町としては、「脇町」が有名だけれど、池田もそしてその隣の、実家のある辻町でも結構そういう造りの建物が残っているの。でも、辻町ではほとんどが空き家になって崩壊寸前なのが痛々しい。
池田町のこの地域は、ナマコ壁の旧家、石畳の道路とか、古い酒蔵も残っているしなかなかいいたたずまい。通りの名前も考えったっぽいネーミング。
ある時期、志を持った人たちが観光で地域を盛り上げようとしたのかなあ・・・という痕跡がある。
でも、残念なことに、街の整備が中途半端なまま、景気が悪くなって、人もいなくなってシャッター商店街にまっしぐら・・・に移行してしまったような感じ?(何のウラも取ってない、おばたんの想像)

残念なのは、この地域に昼間ご飯食べるところがないこと。
検索していったお店は、閉店していたり、夜しかやってなかったり、でお茶をのむところもなかったわ。

そして駅前通りも、まあなんということでしょう!
ことごとくシャッターが下りて古い貼り紙がちぎれかかっている寂しさ。
シャッターの合間に昔馴染みの ふくや(パン)とか、一福(うどん)とか、21世紀(喫茶店)とか安宅屋(和菓子)ががんばっていたのはうれしかった。
結局駅前通りのイタリアンに入ったのだけれど、ラ・タボールだったかな?(そこは美味しかったです。サラダも おいしいソースもけちけちしてなくて。)
おばたんの高校時代は、池田高校野球部が蔦監督の下で全国区になりはじめたということもあって、町も賑やかで元気だったよ。



蔦先生のおうちもうだつが上がっていました
多分、帰って住むことはもうないのに、無責任だとは思うけれど、頑張ってまたうだつをあげてほしい故郷です。

2016年2月4日木曜日

徳島の第九に参加してきました~!

「徳島ラーメン」
甘辛く煮た牛バラ肉が乗ったこってりしょうゆ味 白ごはんが合うかも

例のグループ展で点いたお尻の火.

こんどは第九の楽譜に燃え移って
メラメラ,ボウボウ
1月末に本番を迎え、帰省。














ほら、これがおばたんが参加した第九のチラシ。
「とくしま歓喜の歌プロジェクト」っていうものだったのか・・・・と今気づくおばたん。

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第一次大戦の時、チンタオで捕虜になったドイツ人の
俘虜収容所というものが鳴門市にあったんだそうな。

その頃の日本は、捕虜に関する国際条約に未加入で捕虜の扱いが苛烈な収容所も多かったんだけど、ここの所長は会津藩の出身で(きっと会津の境遇に似てるって思ったのかな)
「国のために戦った兵士には礼を尽くして遇するべきだ」という信念で収容所を運営して、比較的自由な収容所だったそうじゃ。土地の人も捕虜を「おドイツさん」と呼んで 親しく交流していたそうな。
収容所の中には、ドイツ人が開くパン屋さんや靴屋さん、そして楽団は4つもあったんだって!
普通の市民が兵士だったんだもんね。
そんなわけで1918年に捕虜による第九演奏会が鳴門市板野郡の収容所で開かれ、アジアでもここが第九の初演地となったのだそうじゃよ。
*ちなみに所内のパン屋さんはのちにユーハイムになったらしい。




鳴門では毎年第九の演奏会をやってるらしいんだけど、
今年は2016年でしょ、
2018年の100周年に向かって今年から県外にも参加者を募って2年後にはBAAAA~N!と華々しい第九演奏会を開くようだよ。 2020年のオリンピックにも絡めるとか絡めないとか・・・・?
とってもよくしゃべるノリのよすぎる県知事さんがそのようなことをゆうてはりました。
みなさんもどうどす?
練習前 まだ人が集まっていない

当日はオケが100人、合唱が1900人。
観客席が1500くらいだったので演奏者の方が多かったの。
中高生、県内の合唱団、関西広域連合という(なんか名前だけ聞くと違う団体のよう 笑)京阪神、和歌山の合唱団からたくさんの人が来て、神奈川千葉東京の人もわりといたの。
埼玉はおばたんだけだったけど。
「どっから来たん?」
「え~ほんま?遠いとこからご苦労さんじゃなぁ・・」と苦笑されました。

ご当地の食材によるお弁当 おいしかった!





















自宅で独りぼそぼそ練習してた時には
「あ~高い。アルトで申し込んだらよかったわぁ。」と何度も後悔したんだけど、その場に行ってみんなで歌うとあんまり高いとも思わなくなるもんだった。
最後のプレスッテシモが練習をするたびに速くなっていったので、後ろの席のおばあちゃんとかは途中で墜落していってしまったが、私のお隣の同世代の人は、相当場数を踏んでるっぽく、完璧暗譜でバンバン歌っていてとってもたよりになる人だった。
老若男女が2000人なので、目指す「いい演奏」というのは、普通の演奏会とはちょっと違うところに置いてるんだろう。
「マッスの魅力」ってことを言ってた。
毎年こんな風に積み重ねていけば、2018年、20年には「マッスの魅力」が完成しそうな気がするよ。

合唱練習って周りの人とおしゃべりとかする暇がないから、一人参加でもまあ、大丈夫なんだけどその他の空き時間がやっぱ寂しいよね。

とかいいながらおもむろにボクを取り出して会場撮影なんかしてるおばたん。
あやしすぎる・・・
「おまはん、何しよんで?」

疑惑の視線を浴びる。









お土産もらいました
参加特典?のスダチ君ピンバッジと布バッグ
(もしや藍染?)
ハンカチは私物

JR四国は貧乏なので駅が昭和っぽいままでいい感じ
この時計、このままにしててほしいなあ・・・

猫額園の収穫

秋に蒔いた小松菜とさやえんどうとグリンピース、みんなそれぞれ頑張ってくれました。小松菜とグリンピースは撤去し、種を採りました。また来年も育ててみよう! さやえんどうは、まだ続々となっております^_^