2015年1月27日火曜日

日・月、えほんじまの合宿に行きました

絵本勉強会の合宿で伊豆高原に行きました。
小田原までロマンスカー
さすが、伊豆。
熱海のあたりから、電車のドアが開いても寒くないの。
ホームの脇の桜の木は、固い芽を脱いでもうピンクの花芽がつんつん、伊豆高原では2,3輪咲いている花もありました。
菜の花もみかけたし。
もしかして、春???
合宿所は温泉付きマンションが宿泊施設になった感じのところで、リビングルームやキッチンもついています。
幹事で超働き者のクマ君が前もって頼んでおいてくれた海鮮鍋が冷蔵庫の中で待っているし、朝ごはんはレストランで伊豆の海の幸のバイキングでした。

今回の合宿のメインは「ドローイング」
この辺の段取りもすべてクマ君です。
モデルを代わり合って最初10分交替で描いていたのだけど、「10分動かない」のはすごく大変。一巡したところで5分で描き上げることになりました。
デッサンって、陰でとらえろ、とか面でとらえろ、とかいわれてたので
「全部線で表現」というのは難しかったけど、久しぶりに見たままを描こうと集中するのは、楽しかったよ。
・・・・・・・・・・・・温泉とおいしい海鮮鍋をはさんで・・・・・・・・・・・・

後半は、「ハニカム構造のぼんぼりさん」を作る。
あんなものを自作できるとは思ってもなかったので、びっくり。

出来たものは今紙風船と一緒に飾ってあります。
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アンモナイトミュージアム
次の日行ったアンモナイトミュージアムがまた、楽しかったですよ~。
坂の途中にある小さな博物館。
お客は我々だけでした。

館長さんは離れたところでカンカン石を叩いてて、我々の会話を聞いて、時々解説にやってきます。
アンモナイトにはイカみたいなカラストンビがあったらしい。
貝殻はあるけど、イカやタコに近いようだ。
おばたんは、オウムガイとアンモナイトの殻の見分け方を学んだぞ!
珍しい巻いていないタイプのアンモナイト

虹色に光っている

「これ、みんな採って来たんですか~」って聞いたら
へやの隅にある石の山を指さして「これとかは北海道でとって来たんですけど、もらったものも多いですよ。化石クリーニングしてみますか?」
ってことになった。
発掘経験者のクマくんと一緒になって、石を叩きまくる。
硬い~。
とがった破片がとびちるし、なかなかハード。

それでも頑張って小さな貝をとりだせた。
右下の小さいのが私が抜いた化石っす
アンモナイトみつけられる?
館長さんが自分で出したものも付けてもらって、大満足のお土産をゲットしたのであった。

帰りにエントランスの敷石を見ると、白い石のところどころがアンモナイトだった。

2015年1月20日火曜日

ママはまだかな?


もりたが描いた絵本「ママはまだかな?」がチャイルド本社の保育絵本「おはなしチャイルド2月号」として刊行されました。
幼稚園年長さん用の絵本です。

ママが出産のため入院するその前後をおじいちゃんの家で暮らすことになった「はなちゃん」。
やっとお迎えに来てくれる、という日、はなちゃんは待ち遠しさとママを心配する気持ちで
つぎからつぎへとあらぬ想像を・・・・
そんな はなちゃんと彼女を優しく見守るおじいちゃんとのお話です。

はなちゃんの場合は、特殊と言えば特殊な事情だけれど、下の子が生まれる…という時、上の子ちゃんは、預けられたり、おばあちゃんにきてもらったり・・・ママとはしばしのお別れ、というのは結構よくあることでしょう。
パパは、いてもお仕事ですからね。
やっとママが戻ってきても、赤ちゃんがおおいばり。
人生初の試練に遭遇する幼いおにいちゃん、おねえちゃん。

こどもたちにははなちゃんとおじいちゃんのへんてこな想像を楽しんでもらえたらいいな。
大人の人には、こどものせつない けなげなハートを思いやってもらいたいな、と思って描きました。

CM
本屋さんで市販はされないと思いますが、2月になればアマゾンとかでご購入いただけるようです
チャイルド本社 「おはなしチャイルド2月号」 380円

2015年1月19日月曜日

1月18日のランチ会


そもそもは年末年始の食べ過ぎがいけないんだと思うけど、
7日に銀座の某喫茶室で食べたイチゴショート、クリームと中のイチゴが
明らかに2日くらいたってる味がしたにもかかわらず、
ぼ~~っとと食べてしまっってその晩おなかを壊してからダメ。
ちょっと普通に(大量に)食べると胃が重い。
栄養がきっと足りてないから気持ちも後ろ向き。
そのうえめまいが・・・・

とかとか、不定愁訴を抱えて出かけたランチ会。
すごく久しぶりに会った人たちは、20代の時の職場の仲間と上司。
3人の内一人は、気仙沼で被災しそこで復興のために働いている。
上司は定年後郷里の福島で被災し、避難を余儀なくされ、今は福島原発の訴訟団で活動している。
もう一人は、大学で留学生を送り出すお世話をしていて、外国人のお友達がいっぱいいる。

前日が阪神淡路の震災から20年・・・という日だったこともあり、
話題の中心はやはり、震災のこと。

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揺れだけならまだ大丈夫だった。
津波が恐ろしい。
水が一番大切だった。給水車が来るまでの間2,3日の水の確保が大事。

情報がしばらく遮断されていたから、口伝えしかなかった。
携帯もつながらなくて車を乗り合わせて県外のつながるという噂のポイントまで行ってかけた。
自家発電のある施設はなんとかテレビが見えたけどほんと何もわからなかった。
気仙沼では震災の次の日から「福島の原発が危ないらしい、外ではフードをかぶったりした方がいいよ」という話が口伝えで広まっていたのに、どうして福島では情報がそんなに遅かったのだろう。

まだ、全然復興なんかしてないのに、テレビで「よくなった」ところばっかり報道して、もう終わったことだという流れになっているのが悔しい。
復興のために一緒にやってくれていたゼネコンの人たちが、オリンピックのために引き上げて行ってしまったのが本当に残念。

福島では、原発のことが実は、一歩も進んでいない。あのときのままだ。
そこが解決しないと東北の他の地域みたいに復興へ向かう事さえできない。

20年たったら、神戸のようになれるかなあ・・・
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あの日、うちの小さなおうちは捩れるように揺れて、机の下で「潰れるかも・・・」と一瞬覚悟した。
テレビで 人の手がいっぱい加わった美しい耕作地や橋の上の車や人が呑み込まれていくのを泣きながら見た。海の上を燃えながら漂う建物も見た。
福島の原発の報道にも目が離せなかった。
作業服を着た枝野さんの顔、菅さんの顔

そう。やっぱりまだまだ終わってないんだよ。

何の力もないけど、せめて忘れないようにしよう。
覚えてるだけでは直接の助けにはならないだろう。
でも、忘れていない土壌の上でしか、力ある人も力を発揮できないのではないかと思う。

あの3月11日の後、神戸の知人から水と野菜が届いた。
彼女は神戸で被災し、やっぱり水にとっても苦労したと言って送ってくれたのだった。
受けた苦労を思いやりに変えて行動できるのってすごい。
もらった水は、大切に味わっていただきました。


2015年1月14日水曜日

盛岡はとっても寒かった!

20代の終わりころに仙台で1年と7か月住んでいた。
「青葉城恋歌」がまだ完全に懐メロ化してはないころだったと思う。
広瀬川の流れる岸辺で芋煮会で盛り上がったり、親切な先輩ママたちにお世話になったり、懐かしい思い出がいっぱいである。
当然冬の寒さも経験した。
外に脱水したタオルを干そうとしたら、広げた途端に凍ってかたまっってしまったことがあった。
それ以来の冬の東北である。
盛岡は仙台よりハヤブサで30分も北にある。
さぞかし寒いんだろうな~~~~と覚悟して行ったら、やっぱりすごく寒かった・・・というより痛かった。

3日前に降ったという雪、積雪は大したことないのだが、見事にカッチンコッチンに凍っていて、叩いても割れない。スケートリンクのように光っている。
だが、だれもすっころんでいない。
老爺も老婆もすたすたと歩き
宅急便のおにいちゃんは、軽快に走っているではないか。
これは、絶対こけられない!
腰を落し少々がに股の小股で歩く。

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今回は、遊びに来たのではありません。
引っ越しの手伝いに来たのです!
私、一時期やたら引っ越しが多かったためか、荷づめとか荷解きが得意で、
引越し屋さんのバイトに行こうかと本気で考えたくらいなのでございます。
でも、引っ越しの手伝いはチョチョイっと朝飯前に終わりそうなので、
隙間時間に また「すぽたん」をお供に北国の冬を満喫しちゃおうという目論見なのだ。
しゅっぱ~つ!
北上川の開運橋の上、冷たい川風に耐えるすぽたん
まずは、

「食べる」
といえば、盛岡の三大麵、というのをご存知かしらん?

「わんこそば」
「盛岡冷麺」
「じゃじゃ麵」
この3つらしいよ。
このうちわんこそばと冷麺は昔食べたことがあるんだよね。
おいしかったけど、年齢的にわんこそばにトライするのは無謀。
今回は冷麺とじゃじゃ麵を食しました。
盛岡駅前の盛楼閣の冷麺おいしかった!
ぴょんぴょん舎の系列?hot jyajyaのじゃじゃ麵ピリ辛でおいし!

「つかる」
といえば温泉。
駅前のバス停からほんの20分くらいで「つなぎ温泉」という弱アルカリの美肌温泉に着く。
雫石川をせき止めたダム湖のほとりにある温泉で湖の対岸の奥は小岩井農場とか岩手山とかにつづくようだ。
夜の露天風呂、月が照って雪も舞ってとてもいい雰囲気だった。
でも、一人だったのでめっちゃめちゃ暇だったわ~~~


「見る」
これは、真冬のことなので遭難しなさそうな市内をちょっこと見て回ることにしよう。
「石割桜」
誰もいないのをいいことに盛岡地裁の石の上にすぽたん。
石割桜はここの正面に生えているのである。
庭石であったこの大きな花崗岩の上に落ちたひとつぶの種が大きく大きく育って石を割ったんだそうな。花の季節は見物の人でいっぱいらしい。





「盛岡城址公園
「桜木神社」
この樹は別に有名じゃないんだけど、石割大樹なんですよ。
石組の美しい城跡には大岩があちこちにあるのだけど、この樹も岩のてっぺんに根をおろしてるの。
岩に割れ目もあるし、この樹も是非「石割○○」の仲間に入れてやってくださいな!
盛岡に行ったらこの子も見てね!

城址内には烏帽子岩という巨大な、しめ縄のかかった岩もあります。

下の写真は隣接の桜木神社という神社の横にかかっている幕です。
今回一番心に残ったのがこの幕でした。
ご覧ください。昭和61年旧盛岡藩士のみなさんの奉納なんです。
なぜ、藩士?
うちのオトウピーが大好きな浅田次郎氏の「壬生義士伝」。
主人公とその親友がたしかここ盛岡の人という設定だった。
盛岡藩は幕末期藩政が乱れ、一揆が多く起き、隣の仙台藩から、藩政を改革せよとの横やりが入ったんだって。
そこで、楢山佐渡という21歳くらいの若い家老が先頭に立って藩政改革に乗り出したんだそうな。
ところが東北は、明治維新の際幕府側に付いていた。
中でも会津と盛岡は最後まで幕府軍だったために、賊軍となってしまい、楢山佐渡は責任をとって斬首の刑に服したという。
南部藩と八戸藩に分かれていた盛岡藩はその後、明治政府の報復処置で、八戸は青森県になってしまったとか・・・(う~ん、NHK大河になりそうな話ではありませんか。)
ネットで検索していると、その時の悔しさを引きずっているような記述が結構上がってくる。

考えすぎかもしれないけれど、「旧盛岡藩士」という言葉に悔しさと矜持みたいなのを感じたのでした。

明治政府ひどいじゃん、って思ったけど、
今だってけっこう犠牲を強いられているような・・・原発の問題とか。
ぶつぶつ言っていたら横から「平安時代からだよ・・・」という声が。
そうだね。
中央から遠いほど声が届かなくなるのはいつも同じなのかもしれないね。


2015年1月3日土曜日

2015年頭の私の頭


ずっと昔「ニューロン」というものを習った。
脳の中でピピッと手をつないだり離したりして、情報の伝達とかをしているヤツ。
それが、最近縮んで狭く固くなった脳細胞の中で手をつなぐのをやめて、
勝手にあちこちで遊んでいる感じ。
・・・・・は常々感じてはいたんだけどね・・・・

年末年始に若いアイボル君とコウロン君に「ワードバスケット」というカードゲームで叩きのめされてますますその感を強くした。
やられちゃったのは私だけじゃない。
オトウぴーもであった。
語彙力とヒラメキってその昔は結構誇ってたのにね、オトウぴー。
いつのまにかカッチンコッチン

この固くなった脳の先にくる事態を心から実感した年頭であるよ。


これをそのまま受け入れて楽しみながらす~っと生きていくのもかっこいい?が
早くから周りにご迷惑をかけることになりそうだし。
勝てないものにじたばた抵抗しながら生きていくのかな~。
しんどそうだけど、それが楽しみってものを生むのかもしれない。
ま、私のことだから両方の間で日々揺れながら生きてくんだろうな。

対戦中 脳が久しぶりに使われて、アタフタアタフタしてるのがわかって、それはちょっとおもしろかったし気持ちよかったので、今年はそういう刺激を脳に与えてやろうかな、と思う年頭ですよ。



猫額園の収穫

秋に蒔いた小松菜とさやえんどうとグリンピース、みんなそれぞれ頑張ってくれました。小松菜とグリンピースは撤去し、種を採りました。また来年も育ててみよう! さやえんどうは、まだ続々となっております^_^