2014年12月5日金曜日

すぽたんの秋旅 その3-2嵐山と嵯峨野

わらびもちを食べて満足したすぽたんたちは渡月橋のたもとに立った。
さて、左へ行くかまっすぐ行くか・・・
平日なのに縁日のようなにぎわい。
中国語と思われるハイテンションな言葉が飛び交っている。
サンゴ事件のこととかが、頭をよぎるけれど、みんな屈託ない。
島国的思考と大陸敵思考の違いかなぁ・・・

ゴイサギが日向ぼっこ
「左にしょ」
山がすぐそこに迫り、右側は川・・・という細い道を行く。
おばたん、何度も嵐山へは来ているがこの道は初めてである。
人通りも少ない。

「おばさんでも気味が悪い道なので、お姉さんは一人で行かないでね」(おばたんからのご注意よ)

バサバサと音がして見上げると、樹の上には、真っ赤なお猿の顔がある。
おばたんとすぽたん、ますますびくつく。

小心なので何度もひきかえそうかな・・・と思うが、向こうから人がやってきたり、河原で遊んでいる人がいて、先へ進む勇気が出る。
舟下りの人から声がかかるのは、若作りのおばたんの
顔が見えないからだろう。



ちょっと上流にこんな岩場があるとは知らなかった。

ここから山道を上がると、「大悲閣・千光寺」
治水に功のあった角倉了以にゆかりのお寺。ずいぶん高いところにある。
せっせと石段を登っていると、わきから急に声がかかってマジでびっくりした。

ふりむくと、箱の中に作務衣を着た飛猿(水戸黄門の)似の人がいる。
「拝観料400円や」
「あ、はいはい」
飛猿が、「ようこんな辺鄙なとこまできはりますなぁ!」と言うので「ほんまにねぇ」と答えてさらにのぼる。

上の方からなんともいい鐘の音が聞こえてくる。
余韻が谷間に長く響いて美しい。
「鐘が鳴ってるってことは、上に誰かいてるんやな。」いつの間にか脳内関西弁になり、登って行くおばたんとすぽたん。


「ついた~」
最近のやたらこぎれいになってしまった嵯峨野の小さいお寺に比べると、鄙びているというか、お金が回ってきていなさそうであるよ。
でも、学生時代に来たときは、野々宮神社もこんな感じだったよな・・・と懐かしさを感じるたたずまい。(野々宮さん、縁結びでちょーブレイクしている様子
色づいた木々の向こうに見晴るかすは、京都の市街地。
お寺犬が2匹いるのも、のんびりしている。
鐘は自由におつき下さいとあった。
すぽたんとおばたんとで1回ずつついた。
やっぱりとっても素敵な鐘の音だった。
ひなびたところとちょっと怪しいところが心に残る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、渡月橋に戻るぞよ。
メイン通りは、ものすごい人出!
なるべく人通りのないところを探して歩く。
すっごく適当に歩いても、どこかには着くので「迷子」にはならない。

明日友達とまた来ることになっていたので、今日はおばたんのお気に入りの祇王寺だけ拝観することにした。


祇王寺
ここは平家物語にゆかりのお寺。
清盛にちょ~あい♡された祇王という舞姫が、後からやってきた仏御前という若い妓のために家族もろとも、清盛にもらってた家を追い出されて出家し、この地で修行に励んでいた。
邸を出るときに
「萌えいづるも枯るるも同じ野辺の草 いづれか秋にあはで果つべき」
という和歌を建具に書きつけていた。
仏御前はのちにこの歌を読む。
「そうよね。女の人生ってまったくそんなもんだと思うわ!」と深く心に感じて、祇王をたずね、出家したのだそうな。
まだ17歳くらいだったんだよ。

ここは花の樹がほとんどなく、苔深いひっそり感漂う庵。もちろん当時のものではないようだけど、雰囲気が祇王の物語にぴったり。

檀林寺 檀林皇后にゆかりの寺・ざっくりした宝物庫に好感

向井去来ゆかりの落柿舎 コロコロ転がる柿の実の音で寝られなかったらしい。でも茅葺屋根だよ。
歩いているうちにどんどんお天気がよくなってきた。
明日は、同じ下宿で暮らした友人と3人で紅葉狩りの予定。
嵯峨野 常寂光寺から出発だ!

0 件のコメント:

コメントを投稿

猫額園の収穫

秋に蒔いた小松菜とさやえんどうとグリンピース、みんなそれぞれ頑張ってくれました。小松菜とグリンピースは撤去し、種を採りました。また来年も育ててみよう! さやえんどうは、まだ続々となっております^_^